思文閣 × TAA

六本木 ANB Tokyo

2020.11.20(金)2020.11.29(日)

花岡伸宏 二つの像

木・畳・衣服・シュロ縄
キャンバス・アクリル絵具・鉛筆
2020年
H160×W186×D9 cm

昭和55年(1980)広島県生。平成18年(2006)京都精華大学大学院芸術研究科博士前期課程修了。主な個展に、「つくるということ」(大阪府立江之子島文化芸術創造センター、2020)、「入念なすれ違い」(MORI YU GALLERY KYOTO、2017)。グループ展に「日日の観察者」(HOTEL ANTEROOM KYOTO / Gallery9.5、2020)、「音羽川百景2020」(砂防ダム、2020)ほか。京都住。

森田子龍 舞

紙・アルミ泥・漆 額装
1969年頃
78.5×55/81.6×58.2 cm

書家。兵庫県生。名は清。上田桑鳩に師事し、前衛書に志す。墨美社主宰。京都市文化功労者。平成10年(1998)歿、86才。平成12年、紺綬褒章追贈。

森田子龍 雲無心

紙・墨 四曲一隻
1967年頃
141×280 cm

書家。兵庫県生。名は清。上田桑鳩に師事し、前衛書に志す。墨美社主宰。京都市文化功労者。平成10年(1998)歿、86才。平成12年、紺綬褒章追贈。

松尾芭蕉 初しくれ

紙本 台貼絹装
「初しくれ猿も小蓑をほしけ也」
27.5×25.5/116×57 cm

江戸中期の俳人。伊賀生。名は宗房、別号は桃青・泊船堂・芭蕉庵等。北村季吟に貞門派を学び、江戸に下って談林派の感化を受ける。のち、数度の旅を通して俳諧に高い文芸性を加えた蕉風を確立する。元禄7年(1694)旅先の大坂にて歿、51才。

村上華岳 牡丹

紙本水墨淡彩・銀泥 絹装
色紙
村上常一朗箱書
27×24/115×38㎝

日本画家。大阪生。名は震一。旧姓は武田、のち村上。京都絵専卒。文展に入選を重ね、大正5年(1916)には特選となるが、やがて文展の理想主義に対する不満から、同7年自ら土田麦僊・小野竹喬・榊原紫峰らと国画創作協会を結成する。のち健康を害し、芦屋・神戸に居を移して、画壇から離れた作画生活を送り、仏教や六甲の山を題材に宗教的・瞑想的な雰囲気を湛えた精神性の高い絵画世界を形象した。昭和14年(1939)歿、51才。

元永定正 作品

キャンバス・油性樹脂系絵具 額装
裏に自署有
1964年
91.3×116/107.5×132.5 cm

抽象画家。三重県生。昭和30年(1955)具体美術協会に参加し、吉原治良に師事。昭和39年第6回現代日本美術展優秀賞、昭和63年フランス芸術文芸シュヴァリエ賞はじめ、国内外受賞多数。油彩、版画など手がける分野は多岐に渡り、絵本作家としても高く評価されている。平成2年(1991)紫綬褒章受章。平成23年(2011)歿、88才。

棟方志功 赤富士の柵

紙・板画・手彩色 絹装
草野心平詩二十行賛
共箱
37.4×82.6/128×91cm

版画家。青森県生。洋画を独学し、帝展に入選するが、古川龍生・川上澄生の影響で木版画を志す。柳宗悦・河井寬次郎・浜田庄司ら日本民芸派の知遇を受けて制作上の転機をむかえ、宗教的主題の多くの傑作を生み出す。また文字自体を画面に導入し絵と文字を同次元の造型性に融合・統合させた独特の「板画」を確立。国際展最高賞・朝日文化賞受賞。文化功労者。文化勲章受章。昭和50年(1975)歿、72才。

菊畑茂久馬 暖流3

キャンバス油彩 額装(120号)
裏に自署有
1990年(平成2)55才
195×129cm

前衛芸術家。長崎県生。福岡県立中央高校卒。昭和32年前衛美術家集団「九州派」に参加。読売アンデパンダンテン展などに出品した。昭和44年以降はオブジェ制作に没頭したが、昭和58年に油彩の「天動説」シリーズを発表。その他著述活動など、幅広いジャンルで活躍。作品に「奴隷系図」「ルーレット」など。令和2年(2020)歿、85才。

洛中洛外図屏風

紙本着色金泥 六曲一双
江戸後期
169×378 cm

井上有一 刹

和紙・新聞紙・練墨 布装
海上雅臣シール
1959年
120×143/170×146cm

書家。東京生。上田桑鳩に師事。墨人会を結成し、美術の抽象表現主義に呼応した実験的な一字書の大作を発表、書の世界に新風を巻き起こした。サンパウロ・ビエンナーレ展など海外でも作品を発表、新しい創造として評価されている。昭和60年(1985)歿、69才。

三嶋りつ惠 星雲

H20.5×W23cm 6 kg
共箱

昭和37年(1962)京都生。平成8年(1996)よりムラーノ島のガラス工房に通い始め、職人とのコラボレーションにより作品を生みだす。 主な個展に、「凍った庭/炎の果実」(ボイマンス・ヴァン・べーニンゲン美術館、2010)、「あるべきようわ」(資生堂ギャラリー、2011)、「In Grimani」第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画(国立パラッツオ・グリマーニ美術館、2013)ほか。

李禹煥 刻みより

木 額装
裏に自署有
1972年
56×40/75×57.8 cm

1936年、韓国・慶尚南道生。1961年日本大学文学部哲学科卒業。60年代末から70年代の日本の戦後美術の重要動向である「もの派」の理論家・実践家として知られる。「無限への好奇心の発露であり、その探求である」とのコンセプトが李の芸術の中核を成す。70年代の「点より」「線より」シリーズでは、反復を用いた無限表現を目指す。80年代からは画面に余白を持たせ、場・点・線の間の照応関係によって無限感を引き出している。多摩美術大学名誉教授。

白隠慧鶴 秋葉三尺坊

絹本水墨 絹装
七言偈四行賛
101×32.5/203×43 cm

江戸中期の臨済宗の僧。駿河生。勅謚は初め神機独妙禅師、のち正宗国師。15才で松蔭寺単嶺祖伝に就いて出家、慧鶴と称する。のち美濃の瑞雲寺馬翁宗春、伊予の正宗寺逸禅、越後の英岩寺性徹らの門を歴参。享保3年(1718)妙心寺第一座となる。東嶺円慈・遂翁元盧らを育て、臨済禅の中興を成し遂げ、よく民衆に禅を広めた。明和5年(1768)寂、84才。

俵屋宗達 歌仙絵 西行法師

紙本水墨淡彩 台貼絹装
小色紙
19×20/116×38 cm

安土桃山・江戸前期の画家。能登あるいは加賀生。名は以悦、伊年・対青軒等の印章を用いた。京都の豊宗寺に住して永徳画法・古土佐骨法を会得し、光琳派の先駆となる。烏丸光広・本阿弥光悦らと交際があった。生歿年未詳。