会期中無休
井上有一展
思文閣 本社
OPEN 10:00 — CLOSE 19:00
ごあいさつ
この度、思文閣におきまして、戦後の日本美術を代表する書家、井上有一の展覧会を開催いたします。
終戦後、守旧の価値体系が崩壊するなか、現代書でいち早く注目されたのが前衛書(墨象)でした。井上有一は、1952年に森田子龍ら同士と墨人会を結成、美術としての書を追及し、抽象表現主義が高まる1950年代に日本の現代書は世界の抽象美術として一躍注目されます。有一の作品は、ニューヨーク近代美術館の「日本の書展」(1954年)、東京国立近代美術館のヨーロッパ巡回展「現代日本の書・墨の芸術」(1955年)に出品され、その大胆な造形性で書と絵画の両領域で高い評価を得ます。1957年の第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品した「愚徹」は、のちに、批評家ハーバード・リードの『近代絵画史』に紹介され、その評価は国際的に一層高まりました。
本展では、第11回シャルジャ・ビエンナーレ(2013年、UAE)出品作を含む、有一作品を展示いたします。
会場となります思文閣京都本社は、約二十年ぶりの改装を終え、時代や形式を超えて生きるすぐれた美を展覧するにふさわしい空間になりました。 この機会にぜひ思文閣へお運びくださいませ。
井上有一 略歴(1916~1985)
1916
現在の東京浅草(東京府東京市下谷区ニ長町)に古道具屋の長男として生まれる。
1935
青山師範学校(現、東京学芸大学)を卒業。
東京市本所区横川尋常小学校訓導となる。
1945
3月10日東京大空襲、横川国民学校で被災、仮死となる。
1946
神奈川県高座郡茅ヶ崎町第一国民学校訓導となる。
1952
京都龍安寺にて墨人会結成。
1957
英国人美術評論家ハーバード・リードの著書「近代絵画史」に作品「愚徹」が掲載される。
1971
神奈川県寒川町立旭小学校校長となる。
1976
41年間の教員生活を終える。
1985
肝不全で没、69歳。
2000
井上有一カタログレゾネ全三巻完成(編集:海上雅臣、発行:UNAC TOKYO)。
主な展覧会歴
1954
「日本の書展」(ニューヨーク近代美術館、アメリカ)
1955
「日米抽象美術展」( 東京国立近代美術館 )
「現代日本の書・墨の芸術:ヨーロッパ巡回展覧作品 国内展示会」(東京国立近代美術館)
1957
第4回サンパウロ・ビエンナーレ(ブラジル)
1958
ブリュッセル万国博覧記念「近代美術の50年展」
(Palais des Beaux-Arts、ブリュッセル、ベルギー)
日本から井上有一、富岡鉄斎、梅原龍三郎、手島右卿が出品
1959
ドクメンタ2(推薦:カスパー・ケーニッヒ、カッセル、ドイツ)
1961
第6回サンパウロ・ビエンナーレ Carnegie International 1961
(当時「1961 Pittsburgh International Exhibition of Contemporary Painting and Sculpture」
カーネギー・インスティチュート、ピッツバーグ、アメリカ)
1965
ツヴィルナー画廊(ケルン、ドイツ)
1969
「現代世界美術展:東と西の対話」(東京国立近代美術館)
1989~94
回顧展「大きな有一展」(京都国立近代美術館ほか国内6会場を巡回)
1993
「井上有一 すばらしい貧展」(麻布美術工芸館、東京)
1994~95
「戦後日本の前衛美術展」(横浜美術館、神奈川/グッケンハイム・ソーホー、ニューヨーク/サンフランシスコ近代美術館、アメリカ)
1995
「YU-ICHI 1916~1985」(クンストハレ・バーゼル、スイス)
「井上有一展」(監修:カスパー・ケーニッヒ、シルン・クンストハレ、カルメリータ・クロスター、フランクフルト工芸美術館、フランクフルト、ドイツ)
2000
「生きた書いた井上有一展」(茅ヶ崎市美術館、神奈川)
「井上有一<鳥>展」(チャンピーノ市立現代美術ギャラリー、ローマ)
2004
「戦争と美術展」(群馬県立近代美術館)
2005
「井上有一とギュンター・ユッカーの二人展」(ランゲン財団美術館、ノイス、ドイツ)
2010
「書道企画展 YU-ICHI展 ―常識に非ざる一字書」(徳島県立文学書道館)
2011
「風月同天」(広州美術学院美術館、中国)
2012
ジャパン・アート/フレデリック・ミュラー画廊、フランクフルト、ドイツ
2013
第11回シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦)
「破壊された都市の肖像」(群馬県立近代美術館)
「井上有一藝術展」(寧波美術館、中国)