内容

1609年平戸のオランダ商館開設以来、オランダを通して流入、江戸中期以降興隆した蘭学、殊に蘭医学のルーツを、遠影ともいうべきライデン大学、大きな影響を与えたシーボルトの医学的背景、近代日本に直接影を落としたウトレヒト陸軍軍医学校など、直接現地に足をのばして探り、蘭学史に新たな光をあてる。オランダ人医師学者4名を含む6人の共同研究。

目次

序章 蘭学への招待

第一章 ライデン大学の創設とオランダ独立戦争
Ⅰオランダの独立
 一六世紀までのオランダ
 宗教改革の嵐
 オラニエ公ウィレム
 オランダ独立戦争
 ライデンの解放
Ⅱライデン大学の創設
 オラニエ公の大学創設計画
 ライデン大学の開学
 ウトレヒト同盟
 対日貿易の開始
 六つの高等教育機関
Ⅲ臨床医学教育の開始
 着実さのために
 フランス・ヘムスターハウス

第二章 シーボルトの医学的背景
Ⅰ一八世紀から一九世紀にかけての医学
 一八世紀の病気についての考え方
 病理解剖と診断学の発達
 薬物治療の変化
 疾病構造
 ブラウン学説の悪影響
 フーヘランドの批判
 外科の発達
 産科の発達
 医師の資格
 植民地医学
 医学博士号
 プロフェッサー
Ⅱヴュルツブルグ大学医学部
 一九世紀前半のドイツ国内事情
 シーボルトの祖父と外科学の地位の向上
 シーボルト学派
 シーボルトの受けた医学教育
 シェーンライン教授
 フォン・テクストア教授
 ドウトルポン教授
 デーリンガー教授
 その他の教授たち
Ⅲ医師としてのシーボルト
 シーボルトが出島に派遣された理由
 シーボルトの評価
 瀬戸内旅情

第三章 ウトレヒト陸軍軍医学校の歴史
Ⅰ一九世紀のオランダの医育機関
 来日オランダ医の学歴
 多彩な医育機関
 大学
 アテネア
 クリニカルスクール
Ⅱ再独立後のオランダと軍医教育
 ブルーフマンス
 陸軍病院制度の整備
 ウトレヒト国立基幹病院と陸軍軍医学校
 ベッケルスの改革
 陸軍軍医学校の黄金時代
 一八五五年のカリキュラム
 陸軍軍医学校の教官たち
 日本初の近代的系統的医学教育
 陸軍軍医学校の廃止

第四章 ウトレヒト陸軍軍医学校の解剖学の日本への伝播
 『解剖記聞』とロイトル
 『解剖記聞』のルーツを探して
 フレス由来の解剖学講義録
 キュンストレーキ

第五章 蘭領インドの医学教育
 蘭領インド土着民の医療
 ボッシュの渡来
 ドクタージャワ医学校の創設
 医学校の改革
 ウトレヒト陸軍軍医学校を中心としたオランダ、蘭領インド、日本の医学教育の比較

第六章 オランダの化学薬学の学統と幕末日本の化学
 知識の受容
 宇田川榕庵
 フレメリー
 イペイ
 『舎密開示』の参考書の著者たち
 シーボルト
 ファン・デン・ブルック
 ムルダー
 ドンデルス
 ドンデルスの弟子たち
 ペケルハーリングとその同僚たち
 ウトレヒト陸軍軍医学校閥の化学者たち
 化学薬学中心蘭日学統図

第七章 オランダの地酒ジュネーバの渡来
 オランダのカフェ
 シルビウスとジュネーバ
 ロンドンジン
 イン・ダッチ(オランダ人の中で)
 綱吉とジュネーバ
 オランダ徳利
 残された記録
 ジュネーバが知られなかった理由

第八章 オオサンショウウオとオランダ医たち
 オオサンショウウオ
 シーボルト
 ポンぺ

第九章 日本における西洋医育システムの受容
 シーボルトとヴュルツブルグ大学
 ポンぺとウトレヒト陸軍軍医学校
 ミューラー・ホフマンとプロシア陸軍軍医学校
 オランダ系医学校は残った
 軍医学校を医育のモデルとした影響


あとがき
索引

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