内容

※ 本資料は尾張領内と京都・大坂・江戸を中心に各地域を結ぶ尾張飛脚の飛脚問屋であった井野口屋の記録である。

※ 原題は「井野口屋飛脚問屋記録(竪帳和綴、全33冊)で享保8年(1723)から天保14年(1843)までの記録を収め、近世の飛脚史・郵便制度の資料的空白を埋める貴重な史料。

※ 記録には飛脚問屋としての営業規則・仲間の規約、飛脚人夫の雇い方、飛脚賃、飛脚経路などや、藩主・家臣との間での飛脚の認可・契約の証文などがみられる。飛脚制度やその実態解明には絶好の基本的な資料である。

目次

 本巻収録分には、井野口屋の飛脚営業にかかわるトラブル記事が多くみられる。飛脚荷物の配送の遅れ、宿駅から宿駅への荷物の継立方や馬の手配の手違い、飛脚宰領や人足への賃銭の支払いをめぐる宿駅の役人や馬方との交渉のもつれ、荷物の損傷や盗難とそれらへの対応などである。
 また、このようなトラブルをなくし、配達が遅れないよう宿駅役人や馬方とのやりとりをスムーズに行うには、宰領の帯刀が最善であるとして、その願いを幾度となく出していることが各冊の記事にみられることも特徴的である。
 第9冊は天明元年から同8年までの記録であるが、これには荷物の損傷や盗難の記録が収められている。特に、天明6年の記録では、盗賊に「二百二十五両」を盗まれているが、そのときの対応の状況が細かく記されている。
 第11冊には天明8年から寛政8年までの記録が収載されているが、やはり飛脚荷物であった金子が盗まれ、その弁償のために店や飛脚株を質にいれて借金し、しかも一時店が人手に渡った経緯が記される。
 このほか9・11~13冊には、天明2年の桑名の渡海船遭難事故をはじめ、それによって飛脚荷物が不明となり、その対応と捜索にやっきとなっている飛脚会所の状況もみられる。
 天明から寛政にかけては、どうやら井野口屋の飛脚業の転機にあたっていたようである。金子の盗難によるとはいえ、営業権の一時譲渡の記事にみられるように、本巻収録分の記録をたどると、営業の内情とともに店の存続が困難になっていく様子が窺え興味深い。

紹介媒体

  • 日本経済新聞

    2004年2月3日

    渡辺忠司(編者)による紹介

    文化面

  • 読売新聞夕刊

    2004年6月10日

  • 朝日新聞夕刊

    2004年6月24日

    今井邦彦

    編者渡辺忠司氏へのインタビュー。「郵政改革、江戸期にも」「歴史から「今」を考える」。

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