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関連書籍
チュウセイニホンノセイジトブンカ
中世日本の政治と文化
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体裁A5判・480頁
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刊行年月2006年10月
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ISBN4784213244
著者・編者略歴
(もり・しげあき)・・・1949年長崎県生まれ。1972年九州大学文学部国史学科卒業。1975年同大学院文学研究科博士課程中途退学。九州大学文学部助手、京都産業大学教養学部助教授、山口大学教養部・人文学部教授を経て、1997年より福岡大学人文学部教授。文学博士(1985年・九州大学)。専攻は日本中世史。
内容
鎌倉時代から室町時代にかけて、現存している古文書や、政治と深く関わった宗教者から、「中世日本」とはどのような時代だったのかをひもとき、さらに『増鏡』や『太平記』、「博多日記」という記録史料など、文芸作品からのアプローチをも試みる。中世の政治と文化を総合的に明らかにした論考15篇を収録。
目次
はじめに
第一章 政治と支配
第一節 大塔宮護良親王令旨について
「綸旨ノ文章」の令旨
護良親王令旨の登場
六波羅探題の陥落まで
征夷大将軍就任と失脚
護良親王令旨の奉者
後醍醐天皇綸旨との関係
第二節 令旨の書き止め文言──征西将軍宮懐良親王と大塔宮護良親王──
征西将軍宮懐良親王令旨
大塔宮護良親王令旨
第三節 邦省親王の悲劇──もう一つの大覚寺統分枝──
邦省と邦良、後醍醐
嘉暦四年・貞和四年の立太子工作
第四節 赤松持貞小考──足利義持政権の一特質──
赤松持貞の具体的動向
早い時期の史料所見
「赤松越後守奉書」
赤松持貞の職務内容
祈祷巻数の受け取り
室町殿足利義持の宗教的意思の伝達
五壇法催行との係わり
六条八幡宮年始神馬の引進
供料の支給
所領の給付
寺家──室町殿間の連絡調整
主体的な行動
他の史料における所見
仕組まれた事件
将軍専制志向とその挫折
第五節 足利将軍の元服──足利義満より同義教に至る──
足利義満の元服
足利義持の元服
足利義嗣の元服
足利義量の元服
足利義教の元服
相互関係についての検討──むすびにかえて──
第二章 政治と宗教
第一節 三宝院賢俊について
研究史
賢俊の登場と足利尊氏
後七日御修法
護持僧
武家護持僧
五壇法
諸種の修法
公家護持僧
第二節 日記に引用された文書とその性格──『満済准后日記』を素材として──
引用された文書の種類と機能
足利義持期
祈祷奉書
請文・書状
室町殿関係の文書
陰陽占文・勘文
その他
足利義教期
祈祷奉書
請文・書状
室町殿関係の文書
陰陽占文・勘文
その他
引用文書からみた満済の地位と役割
記録としての『満済准后日記』
第三節 五壇法の史的研究
五壇法関係の史料
平安時代の五壇法
鎌倉時代の五壇法
南北朝・室町時代の五壇法
第四節 元亨三年十二月の「御産御祈」五壇法について
修法を依頼する文書
修法の記録
若干の考証
修法の政治史
第五節 室町時代の五壇法と護持僧──足利義持・同義教期を中心に──
室町時代の五壇法
足利義持期
足利義教期
室町時代の護持僧
足利義持期の護持僧
足利義教期の護持僧
五壇法と護持僧との関係──むすびにかえて──
【資料】五壇法修法一覧
第三章 政治と文芸
第一節 朝廷と幕府──鎌倉時代の朝幕関係と『増鏡』──
対立
安定
二分化
第二節 後醍醐天皇──その怨霊と鎮魂、文学への影響──
後醍醐天皇怨霊の呪縛
「先帝崩御事」
後醍醐臨終の場面
足利尊氏の追慕と悔恨
後醍醐天皇怨霊の鎮魂
天龍寺の建立
後醍醐の物語としての『増鏡』『太平記』
『太平記』のなかの足利直義
後醍醐院聖忌
第三節 『太平記』と足利政権──足利直義の係わりを中心に──
『太平記』と足利直義
直義による修訂とその後の改訂
後醍醐物語としての原『太平記』と恵鎮
第四節 『太平記』に引かれた文書
『太平記』に引かれた文書
引用された文書の特徴
個々の文書の検討
第五節 「博多日記」の文芸性と九州の元弘の乱
「博多日記」とは
「博多日記」の立場
「博多日記」の構造
「博多日記」の文芸性
『太平記』との関係
「博多日記」の文芸性
「博多日記」にみる九州の元弘の乱
合戦の性格
大塔宮護良親王の係わり
成稿一覧
索引(事項/人名/地名・荘園名・寺社名/史料名・書名/研究者名)
紹介媒体
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『日本史研究』537
2007年5月7日
熊谷隆之
-
『史学雑誌』116編12号
2007年12月20日
大田壮一郎
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『古文書研究』65号
2008年5月20日
細川武稔
-
『佛教史学研究』第50巻2号
2008年4月
芳澤元
書評
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『日本歴史』732号
2009年5月1日
伊藤喜良
書評と紹介