キョウトリョウビョウインオヤトイイシショイベ

京都療病院お雇い医師ショイベ

滞日書簡から

森本武利 編著

酒井謙一 訳

  • 体裁
    A5判・346頁
  • 刊行年月
    2011年06月
  • ISBN
    978-4-7842-1581-2

著者・編者略歴

もりもと・たけとし…1936年生.1978年京都府立医科大学生理学教室助手を経て教授,のち名誉教授.また2005年神戸女子短期大学,2007年神戸女子大学名誉教授.

さかい・けんいち…1949年生.京都大学大学院文学研究科独文学専攻修士課程修了.静岡女子大学文学部助教授等を経て2006年京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授.

内容

 明治のあけぼの間もない1872(明治5)年、お雇い医師を招いて発足した京都療病院(現・京都府立医科大学)。そこで初代ヨンケル、マンスフェルトに続いて招かれたのがドイツ人医師ハインリッヒ・ボート・ショイベ(1853~1923,滞日は1877~81)であった。
 ショイベは治療・教育・研究にあたって優れた成果を挙げたが、とりわけ脚気・寄生虫の研究やアイヌの民俗学的研究において大きな足跡を残している。同様のお雇い医師として、かつドイツで師ブンダーリッヒの元でともに学んでいる、ショイベの兄弟子分のベルツ(1849~1913)が日本近代医学の父としてよく知られる一方、ショイベについては文献や資料が少なく、これまでほとんど知られていない。
 本書は、ショイベが滞日中に母へ送った書簡のコピーを、ショイベの遺族から得た編著者が、その翻訳を通して、ショイベの生涯をはじめ、ほかのお雇い外国人達との交流や居留地での生活から明治初期の京都の風俗にいたるまでを、生き生きとよみがえらせる。巻頭に口絵写真、巻末にショイベの業績リスト・年譜を付す。

目次

第Ⅰ部 滞日書簡―親愛なる母へ―

 1877年(明治10年)
  ライプツィヒから日本への旅
  日本への到着
  初めてのクリスマス

 1878年(明治11年)
  京都の生活1
  京都の生活2
  京都のお祭り
  夏期休暇
  仕事の進展
  京都の自然

 1879年(明治12年)
  二度目のクリスマスとお正月
  京都の生活3
  復活祭休暇
  コレラの流行
  夏期休暇旅行
  ベルツ京都訪問
  三度目の師走

 1880年(明治13年)
  ハインリヒ親王吹田事件
  京都の歓楽街
  東京へベルツを訪問
  アイヌの民俗学的研究
  京都府から延長契約の話
  新しい療病院・医学校の新築
  蝦夷地への調査旅行
  馬車を購入
  クリスマスを神戸で

 1881年(明治14年)
  槇村知事の辞任
  東京旅行
  講義再開
  夏期休暇と京都での生活
  解雇通知と惜別の動き

 1882年(明治15年)
  東京旅行
  帰国準備
  帰国の途へ


第Ⅱ部 京都療病院とお雇い医師

 京都療病院の発足とお雇い医師
 京都療病院着任までのショイベ
 ショイベの日本での活躍
 帰国後のショイベ  

ショイベの業績
年譜:ショイベとその時代


あとがき

紹介媒体

  • 「京都民報」第2496号

    2011年7月31日

    三宅成恒(京都城南診療所医師)

    読書

  • 京都府立医科大学学友会誌「青蓮会報」第157号

    2011年7月31日

    佐野豊(京都府立医科大学名誉教授)

    著書紹介

  • 「京都新聞」朝刊

    2011年10月23日

    読書(出版あれこれ)

  • 「日医ニュース」第1216号

    2012年5月5日

    書籍紹介

  • 「京都医報」第1961号

    2011年7月15日

    奥沢康正

    表紙記事

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