著者・編者略歴

1960年 大阪市に生まれる。1984年 立命館大学文学部史学科卒業。1989年 立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。1994年~ 愛知県立大学文学部、同日本文化学部勤務。現在 同日本文化学部教授。〔主要著書〕『日本中世仏教成立史論』(2007年、校倉書房)、『日本中世仏教史料論』(2008年、吉川弘文館)、『日本中世仏教と東アジア世界』(2012年、塙書房)、『平安京と中世仏教』(2015年、吉川弘文館)

内容

国家宗教として日本に導入された仏教は、中世にいたって広く社会に定着したとされる。ただし中世仏教は、権門体制論や顕密体制論において、権力側が民衆を編成し、抑圧する装置としての側面が強調されている。はたして中世の民衆は仏教を押し付けられただけの存在なのか? 
本書は、民衆自身の生存と権力支配への抵抗を求める普遍的な思想が、仏教の用語や思想(慈悲、不殺生、和合など)と接することで表現された可能性を追求する。断片的ながら願文、起請文、村の禁制、地域の小規模寺院の存在などに史料的痕跡を見出し、民衆思想として萌芽した状況を浮かび上がらせる。

目次

序 章 日本中世民衆仏教研究の課題
はじめに
一.古典学説としての顕密体制論
二.民族文化論としての顕密体制論
三.顕密体制論の批判的継承─平雅行説を手がかりに─
四.歴史学の現代的実践課題と日本中世史研究
五.日本中世民衆仏教研究の試み

第一部 ユーラシア東辺列島における仏教導入

第一章 六、七世紀における仏書導入
はじめに
一.初期の動向
二.道昭と玄奘
むすび

第二章 古代仏教と最澄の一乗思想
はじめに
一.入唐以前の達成
二.九か月の在唐
三.開宗と挫折
四.決断と実行
五.最澄思想の基軸と原動力
むすび―最澄思想の歴史的位置―

第三章 入唐求法僧と入宋巡礼僧
はじめに
一.求法僧の時代 前期
二.求法僧の時代 後期
三.巡礼僧の時代
むすび

第四章 北宋・遼の成立と日本
はじめに
一.澶淵の盟にいたる軍事緊張と日本
二.知識人僧侶・文人貴族・権力中枢の選択
三.澶淵の盟状況下の摂関政治
むすび

第五章 十世紀における地域社会の胎動
はじめに
一.成立期の近長谷寺
二.近長谷寺をめぐる地域動向
三.平地の寺院と山寺
むすび

第六章 十一世紀の如法経と経塚
はじめに
一.『如法経濫觴類聚記』
二.覚超の如法経供養
三.覚超の計画と藤原道長・上東門院彰子
四.上東門院彰子の一人称
むすび

第七章 十二世紀真言密教の社会史的位置―大治と建久の間―
はじめに
一.十二世紀の日本仏教と真言密教
二.大和国内山永久寺―南都辺の真言寺院―
三.和泉国松尾寺と三河国普門寺―地方天台と真言密教―
むすび

第八章 十二世紀日本仏教の歴史的位置
はじめに
一.日本中世成立史の一特徴―仏教の社会的組み込み―
二.僧伽と大衆
三.日本中世における僧伽の発現
むすび

第二部 中世民衆仏教の可能性

第一章 写経と印信―平安期仏教の展開と転形―
はじめに
一.古代から中世へ
二.写経・訓読・校合
三.系譜の拡がりと拠点―ある印信から―
むすび

第二章 経塚・造仏・写経―民衆仏教形成の条件―
はじめに
一.史料としての経塚遺文、造像銘、写経奥書
二.築造・造像・写経の過程
三.発願と結縁の動態
むすび

第三章 起請と起請文―永暦二年(一一六一)永意起請木札をめぐって―
はじめに
一.普門寺の諸史料と起請木札等
二.永意起請木札の内容と解釈
三.資料学的検討と思想的脈絡
むすび

第四章 『平家物語』と中世仏教
はじめに
一.平家物語・仏教・東アジア
二.世界認識としての仏教
三.新時代の選択
むすび

第五章 勧進帳・起請文・願文
はじめに
一.勧進帳
二.起請文
三.願文
むすび

第六章 寺院縁起と地域社会―三河・尾張の山寺―
はじめに
一.『普門寺縁起』と里山寺院の構造
二.『東観音寺縁起』と海
三.三河・尾張の河海と山寺
むすび

第七章 中世の巡礼者と民衆社会―出土禁制木簡から―
はじめに
一.北方京水遺跡(岐阜県大垣市)出土の禁制木簡
二.囉斎人―行脚僧、高野聖、巡礼、薦被、乞食、商人―
三.狂言「地蔵舞」をめぐって
むすび

第八章 中世民衆思想の探究―木札・像内文書・仏書を例に―
はじめに
一.木札―掲示された地域の法―
二.仏像内の文書―籠められた意思、性をめぐって―
三.仏書―作成それ自体の機能―
むすび

結 章 民衆仏教から民衆思想へ
はじめに
一.翻訳文化としての中世仏教
二.媒介者としての玄奘
三.玄奘と中世の廻国僧
四.仏教世界への定位
五.民衆仏教論の方向

初出一覧
あとがき
索引

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