たざわ・よしこ…大手前大学大学院比較文化研究科比較文化専攻博士課程後期単位取得退学。文学博士。大阪大学・関西大学講師。
関連書籍
ハイクトスペインノシジンタチ
俳句とスペインの詩人たち
マチャード、ヒメネス、ロルカとカタルーニャの詩人
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体裁A5判上製・352頁
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刊行年月2016年01月
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ISBN978-4-7842-1823-3
著者・編者略歴
内容
俳句はどんな形でスペイン語圏に伝わり、その詩にどんな影響を及ぼしたのか。
これまでの研究では、俳句はフランスなどでの広範な流行にかなり遅れて、 断続的にスペインに入ったと考えられていた。だが、陸続きのヨーロッパでそのようなことはあり得ない――スペイン語とカタルーニャ語に精通し、現地の文化と風土を肌で感じてきた著者が、長詩を主流とするスペインの詩に俳句という究極の短詩がいかに受容されたかを、当時の文学書はもとより雑誌や新聞、詩人たちの日記や書簡などを渉猟して、こまやかに読み解く。
目次
序 章 パスの功罪
第一章 俳句受容の玄関口――パリとロンドン――
一 パリのスペイン詩人たち
雑誌『メルキュール・ド・フランス』とフアン・ラモン・ヒメネス/カタルーニャの先駆者ジュゼップ・カルネーとアウジェニ・ドルス/ディエス=カネドと荒木田守武の句/エンリケ・ゴメス・カリージョの「詩の心」/アントニオ・マチャードの三行詩/パリにおけるスペイン語詩人のネットワーク
二 ロンドンとスペイン詩人
アストンの『日本文学史』と『ラ・エスパーニャ・モデルナ』/フアン・ラモン・ヒメネスと『ザ・ポエトリー・レヴュー』
第二章 スペインの三大詩人と俳句
――マチャード、ヒメネス、ロルカ――
一 アントニオ・マチャード――新しい詩を求めて――
「日本の詩人」アントニオ・マチャード/「ロマンセ」の故郷からパリ、そしてマドリードへ/『孤独』から『孤独、回廊、その他の詩』へ―俳句が生んだ変貌―/『カスティーリャの野』―風景描写の発見―/『新しい歌』―新しい詩の手掛かりを求めて―
二 フアン・ラモン・ヒメネス――俳句と「裸の詩」――
詩人の原点―セビリャの「アテネオ」―/発信者ヒメネス/強まる俳句性/マドリードへ―新たな世界の展開―/クラウゼ哲学、自由教育学院との出会い/『牧歌集』の「見立て」/帰郷―『プラテロと私』―/「学生寮」―セノビアとの出会い―/『新婚の詩人の日記』―「裸の詩」の始まり―/より俳句的に―『永遠』と『石と空』―/その後のヒメネスと俳句/栄光と終焉
三 フェデリコ・ガルシア・ロルカ――俳句をめぐる葛藤――
詩人の出発点/ミゲル・ピサロ/「騎乗の歌」/「騎乗の歌」以前/俳句と三つの詩集/ロルカの俳句観/「学生寮」入寮後の展開/実りと突然の終焉
第三章 俳句伝播の拠点「学生寮」
一 知の最前線としての学生寮
二 学生寮の母体――「自由教育学院」――
三 俳句と学生寮周辺の人々
「特別寮生」フアン・ラモン・ヒメネス/ロルカと「アナグリフォ」遊び/マチャード一家と「自由教育学院」/「特別寮生」ホセ・モレノ・ビリャ/エンリケ・ディエス=カネド/遅咲きの詩人ホルヘ・ギリェン/若い世代と俳句―エミリオ・プラドス―/「接着剤」としてのマヌエル・アルトラギレ/「農村詩人」ホセ・マリア・イノホサ/そのほかの学生寮周辺の人々
第四章 「ウルトライスモ」と「グレゲリア」の役割
一 「ウルトライスモ」とは
二 「ウルトライスモ」と俳句
ウルトライスモ詩人ギリェルモ・デ・トーレ/アントニオ・エスピナの「版画」/フランシスコ・ビギの「僕の初めてのハイカイ」/アドリアノ・デル・バリェの「七色のハイカイ」/「ウルトライスモ」の雑誌と俳句
三 ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナと「グレゲリア」
「グレゲリア」―革新的短詩―/イマジズムとグレゲリア
第五章 カタルーニャの詩人・文化人と俳句
一 カタルーニャ語の位置づけ
二 ハイカイの紹介者ジュゼップ・カルネー
三 アウジェニ・ドルスの役割
四 ジュゼップ・マリア・ジュノイと「ハイカイ」
五 カタルーニャの国民的詩人ジュアン・サルバット=パパサイット
結語
主要参考文献一覧(欧文291/邦文310)
あとがき
索引
紹介媒体
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『AMICS』No.106
2016年2月
紹介
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『比較文学』59巻
2016年
吉田彩子
書評